自閉症のお子さんを持つご家族へのエール(前編)

自閉症の息子が特別支援学校高等部を晴れて卒業し、社会人としての一歩を踏み出します。まだまだ心配事はたくさんありますが、今、自閉症のお子さんの子育て真っ最中にあるご家族へのエールを込めて、息子の歩みを、一旦、振り返ってみようと思います。

診断

息子が自閉症であると診断されたのは3歳のときでした。言葉はなかなか出ないし挙動はおかしいし、もしやとは思っていましたが、自閉症なら早めに覚悟を決めて、少しでも症状改善に向けた努力をしてみようという気持ちで、診断を受け入れました。自閉症という病気の原因は分かっていませんが、自閉症児にはいくつか典型的な振舞いがあることが報告されています。改めて息子の挙動を観察すると、まさに自閉症の典型にあてはまりました。印象的なのは、クレーン現象、オウム返し、そしてジャンプ。クレーン現象は、親の手を使ってモノを取ろうとする行為、オウム返しは文字通り聞いた言葉の繰り返し。パニックもよくありました。

多くの親御さんと同じく、馴染みのなかった自閉症という病気について、勉強しました。自分が中学生のころ、養護学級にいた知恵遅れの子らがまさに自閉症だったと、そのとき初めて認識しました。そして、現代医学では治らない病気だということがわかり、日本ではこの分野の研究がとても遅れているということもわかりました。これという切り札はなく、普通の子になるという希望を全く持てないまま、ただ支援施設に通わせていました。

たまたま、私が仕事で米国西海岸にいたとき、3ヵ月ほど米国の施設に入れてみたことがあります。自閉症は、教育を受けた家庭のお子さんに多い傾向があり、有名大学の集まる西海岸エリアは、自閉症の早期療育プログラムがいくつもある先進的な地域だったのです。成果はわかりませんが、病気を取り巻く社会環境の違いは大いに勉強になりました。

彼には弟がいて、うちは4人家族なのですが、息子が小さいうちは家族4人で出かけたことが少なかったように思います。僕の休みの日には母親をストレスから解放させようと、息子2人を連れ出して3人でよく遊びに行きました。母親のストレスがその程度のことで解放されたかどうかは疑問ですが、自閉症児に過度に振り回されることなく、楽しい子育てだったと記憶しています。

小学生時代

息子の症状は重い方だったので、迷うことなく、養護学校(特別支援学校)に通わせました。相変わらず何を言っているかわからないし、よくパニックにもなります。 母親の苦労は絶えなかったと思いますが、今となっては、思い出深い事件がいくつもありました。

警察にお世話になった失踪事件は3度あります。改札をぶっちぎって山手線に乗って、半周先の駅から歩いてかなり距離のある自動車展示場へ一人で行ってしまったのがもっとも遠い記録です。母親がまさかあそこまでいかないだろうと思って、ダメ元で電話したら、そこにいたようです。母親が迎えに行くと「ママ迷子」という名言を残しました。警察に協力をお願いする際、「知恵遅れです」というと範囲を広げて捜索をかけてくださいました。ただ、あれは、息子への被害を心配するというより、息子が加害者になる心配をしているのだろうと感じました。世の中の理解はそんなものです。

知恵遅れとはいうものの、少しずつ知恵をつけていきます。アマゾンワンクリック事件では、彼の先見の明に驚かされました。自動車の本に興味があった息子は、僕のPCでアマゾンの買い物カートに好きな本を入れて、パスワードを入れろと僕の手を引っ張ります。仕方ないのでパスワードを入れて注文を確定させると、玄関まで走って行って、そこで本の到着を待つのです。当日配送をやっている今では、さして珍しくない光景かもしれませんね。

女の子への興味を持ち始めたのも小学生のときです。コスプレ系のスタイルが好きなようで、見つけると突然追っかけ始めたり、スカートをめくったりすることがありました。もちろん強く叱るのですが、親としては、女の子に対して間違いを起こしてはとんでもないことになりますから、彼のエネルギーをどうにか別の方向に振り向けようと、一緒に山登りをはじめました。

小学校を通じて、学年は上がれど、彼の知能が成長するわけではなく、知的障害の度合いとしてははっきり重くなっていきました。低学年のうちは、相変わらず言葉が不明瞭で、オウム返しに近い状況でした。

言語教育に出会う

高学年になり、私の仕事の都合で引っ越しをしました。新しく通いだした学校に、言語教育の専門知識を持った先生がいらっしゃって、その先生から発声の訓練を受けました。それを機に、彼の言葉が明らかに明瞭になり、言葉の数も格段に増えました。これはとても大きな変化でした。思い返せば、そのあたりから少しずつコミュニケーションが成り立つようになったので、それまで、彼の方にも言っていることが伝わらないストレスがあったのでしょう。 専門教育の力は素晴らしいと本当に感じます。

彼の好奇心の幅も広がりました。しょっちゅう「理由は何ですか?」と聞いてくるようになり、あまりのしつこさに辟易するほどでした。古いパソコンを渡したことも、好奇心を助長したようです。瞬く間にブラインドタッチでローマ字入力できるようになり、いろんなことを吸収しました。但し、興味ある分野は著しく偏っており、彼の場合、それは自動車と歴史です。

特別な才能?

自閉症児を持つご家族なら、映画レインマンをご存知の方は多いでしょう。自閉症児に特別な才能があるなら、いつかカジノで大儲けしたいと淡い期待を抱くものです。うちも宝くじを選ばせたりしてみましたが、今のところ全くご利益がありません。山下清さん(裸の大将)のように絵がうまいとか、東田直樹君のように文章を書く才能があるとか、そういった実利に繋がる才能を見いだせてもいません。考えてみれば、トンビが鷹を生むわけはないのです。

ただ、役に立たない才能はあります。興味あることに対する記憶力は大したものです。 自動車の車種名はすべて網羅しています。形を見て車種を言えます。 歴史上の人物名はかなりよく知っています。死んだ年まで覚えています。歴史上の人物のみならず、人の名前はよく覚えています。最初に出会った日まで覚えていることもあります。学校の先生の名前は完璧に覚えています。校長室にある以前の校長先生の写真と名前まで覚えていて、初対面の元校長先生の名前を言って驚かせたこともありました。彼の記憶力を確かめようと、いろんなクイズを出すのですが、彼の答えが正解かどうかわからないという問題が生じています。というのも、不正解を正解のごとく堂々と答えるケースがあるので、この才能も張りぼてなのかもしれません。

後編に続きます。

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