Investing a portion of the social security trust fund assets in equities, as the Administration and others have proposed, would arguably put at risk the efficiency of our capital markets and thus, our economy. Even with Herculean efforts, I doubt if it would be feasible to insulate, over the long run, the trust funds from political pressures–direct and indirect–to allocate capital to less than its most productive use.
by Alan Greenspan on January 28, 1999, in Testimony Before the U.S. Senate Committee on Budget
つい最近、同様のニュースに触れて、ブログにメモを書きました。
そのとき更なる損失の可能性を示唆しましたが、1-3月に続き、4-6月も同じ規模の損失を出したらしい。見方に変わりはなく、長期保有が前提なので時価評価で一喜一憂するより、定期的にきちんと現金配当を分配しているかどうか、しっかり見極めた運用を望みます。
ところで、前回触れなかった点で、その後、含めるべきだったと思える論点があります。それは運用資金が公的資金だということです。米FRB議長だったアラン・グリーンスパンは、公的資金の株式投資を通じた民間経営介入を明確に否定しています。確かに、どうして公的資金が株式投資をするのか、考えたほうがいい。個別企業のリスクを取りたいなら、個人のレベルで投資できるはずで、公的資金として個別企業のリスクを取り出すと、そこに多かれ少なかれ政治的な思惑の介入を避けられず、投資家としての純粋な判断が損なわれ経済活動を歪めてしまうという考え方です。確かに、GPIFの株式投資には、多分に政治的背景が見て取れます。公的資金は政府債に投資して金利低下や財政安定を通じて、民間投資を促すことに徹するべきなのです。
投資家教育が進んでいる米国では、投資信託やヘッジファンドを通じて個人がより積極的にリスクマネーに資金を振り向けています。一方で、日本では投資家教育が遅れていて(もしくは、単にリスク回避を好む国民性から)、投資に充てられるリスクマネーが少ないと言われています。リスクマネーが経済全体で足りないというなら、公的資金を活用したリスクマネー供給を考えてもよいのかもしれません。但し、それはあくまで一時的な措置であって、やはり個人のレベルでリスクマネーを拠出させるべきです。
というわけで、最近の2度の5兆円を超える損失に関して、運用がまずいということを議論するよりも、そもそもそのような投資が公的資金に望まれているのかという点を考え直したほうがいいのです。仮に、そのような投資を行うとしたら、時価の増減より、現金配当なり債券クーポンを重視すべきという考え方は変わりません。